今の時代、スマホを開けばYouTubeやSNSで、誰もが簡単に世界トップレベルのアスリートのフォームを見ることができます。

「大谷翔平選手のバッティング理論」 「メッシ選手のドリブルの極意」 「最新の○○式トレーニング」

無料で、これほど質の高い情報が手に入る。素晴らしい時代になったと思います。

しかし、現場の最前線で指導をしている私からすると、この便利さゆえに非常に恐ろしい現象が起きていると感じています。

それは、情報に溺れ、「トレーニングの迷子」になってしまっている選手があまりにも多いということです。

「YouTubeで見たこのフォームが正解だから」と、画面の中の動きをそのまま自分の体で再現しようとする。

しかし、大抵の場合、上手くいきません。

それどころか、パフォーマンスが落ちたり、最悪の場合は怪我をしてしまったりします。

なぜ、画面の中の「かっこいい正解」を真似しているのに、体を壊してしまうのでしょうか?

画面の中の選手とあなたの「前提条件」は違う

答えは非常にシンプルです。 画面の中のトップアスリートと、今スマホを見ているあなたとでは、体の「前提条件(基礎スペック)」が全く違うからです。

例えば、あるメジャーリーガーの豪快なスイングを真似しようとします。

そのスイングは、完璧な「骨盤の前傾」、しなやかな「胸椎の回旋」、そして足首の圧倒的な「柔軟性」という、全てのエラーが排除された完璧に近い土台の上に成り立っています。

しかし、もしあなたの骨盤が後傾していて、背中が丸まり、足首が硬いという「エラー」を持っていたらどうなるでしょうか?

土台が歪んでいるのに、無理やり上半身だけプロと同じ「形」を作ろうとする。

すると体は、足りない動きを補うために、別の関節(腰や肘、膝など)に無理な負担をかけます。

これを専門用語で「代償動作」と呼びます。

この代償動作を繰り返せば、どうなるか。 関節が悲鳴を上げ、確実に体を壊します。

「形(フォーム)」だけをコピーしようとするのは、

軽自動車の車体に、F1カーの巨大なエンジンを無理やり積もうとするようなものです。

走る前に、車体がバラバラになってしまいます。

「ツギハギのメソッド」では本物になれない

もう一つ、現代のアスリートが陥りやすい罠があります。

それは、色々な人の理論を少しずつ「つまみ食い」してしまうことです。

AさんのYouTubeで「スクワットはこうやれ」と聞き、

BさんのInstagramで「このストレッチが最強だ」と見て、

CさんのTikTokで「最新のアジリティトレーニング」を取り入れる。

それぞれは正しい理論かもしれません。

しかし、人間の体は一つの繋がった「システム」です。 土台の「軸」となる一貫した理論を持たずに、表面的なメソッドだけをツギハギでパッチワークのように貼り付けても、体の中で矛盾が生じます。

「あれも良い、これも良い」と情報を詰め込みすぎた結果、自分の体の感覚が分からなくなり、自分が今どこに向かっているのか見失ってしまう。 これが「トレーニングの迷子」の正体です。

「個性」という言葉を、逃げ場にしてはいけない

実は、現場で見ていると一つの明確な傾向があります。

それは、「生身のコミュニケーションから逃げている選手ほど、SNSの情報に左右されやすい」ということです。

最近は「個性を大事にする」「私らしく生きる」という言葉がよく使われます。

しかし、それが時に「本来乗り越えるべき壁から逃げ続けるための言い訳」になってしまっている選手が多すぎます。 「コミュニケーションが苦手なのも自分の個性だから」と。

さらに問題なのは、周りの大人(指導者や親)の姿勢です。

今の時代、大人はネットなどで様々な情報を「知りすぎている」がゆえに、相手の気持ちを先回りして「理解しすぎよう」としてしまいます。 過剰に思いやり、「無理をさせないでおこう」「この子の個性だから」と接することで、結果として選手から壁にぶつかって成長する機会を奪い、「逃げ場」を与えてしまっているのです。そのまま、腫れ物に触るように放置してしまっている。

大人は、物わかりの良い「賢者」になりすましてはいけません。 子供が逃げようとした時、間違った方向に進みそうな時、大人が壁となって「ダメなものはダメだ」とはっきりと立ちはだかることが絶対に必要です。

現場で長年、多くの人間を見てきて確信していることがあります。

やたらと「いい言葉」や「耳障りのいい綺麗事」をめちゃくちゃに並べ立てる指導者や大人ほど、実は承認欲求の塊で、ナルシストだったり、金の亡者だったりします。

あるいは、裏での行動がだらしなかったり、不摂生だったり、ただのすけべだったりするケースが本当に多い。

そして何より、自分が失敗をした時、ミスをした時、自分の勝手な解釈で間違った行動をした時に、

「ごめん!」「すみません」という当たり前のコミュニケーションが取れません。

素直に謝ることができず、自分のミスを平気で誤魔化そうとします。

指導者であれ親であれ、自分の非を認めて素直に「ごめん」と言える大人を、私は心から尊敬します。

逆に、口先だけで自分を飾り立て、ミスを誤魔化す大人は、本気で子供とぶつかり、責任を持つことから逃げているだけなのです。

本来、人間関係において最も重要なのは、表面的な会話や綺麗事ではなく「言葉の裏側を読み取る能力」です。 相手の表情やふとした仕草を見て、「この人は何を大切にしているのか」「どんな考えで生きてきたのか」を必死に汲み取る。

そして、どのタイミングで、どういう言葉がけで話すかを考え、ぶつかり、失敗を繰り返しながら学んでいくものです。

画面の中の動画は、ただ一方的に「正解らしきもの」をくれるだけで、言葉の裏を読む必要も、対話の摩擦も失敗もありません。だから楽なのです。

しかし、そうやって「個性」という名の安全地帯に逃げ込み、人との「対話の努力」から逃げているから、自分の体との対話もできなくなり、情報に振り回される「迷子」になってしまうのです

 

 

 

TASHIRO CLUB 代表 田代